大切な人を守れる自分に。誰かの夢、希望、勇気に\(^o^)/

会社やめてどう?

れいなって今何してるの?

 

そんな風に聞かれることが沢山あって、同じ話を50回以上しているのでw

いい加減、文章にしてみようと思います。(らしくない) 

 

退職して2か月が経とうとしてる今ですが、退職して後悔した日は1日、いや1分たりともありません。(伊藤忠の先輩方ごめんなさいすぎます)

 

毎日が刺激、学び、成長、だらけで!全然もっとやりたいことあるのに、

自分が小さくて、できないことだらけで悔しさも沢山ありますね。

 

でもその成長痛も、もはや楽しんでる感じですね!笑 

 

長くなるかもしれないので、興味がある人だけ読んでください(笑)

 

今私はベビーシッターと体質改善のサポートをする健康教育の活動をしております。

なにそれ?とか、なんで?とか、全然違うくない?イタリアはどうしたの?とか、

色々あると思うので書こうと思うんですけど、興味がある人だけ読んでください(2回目)

 

 

【すべての始まりは”ベビーシッター”との出会い】

 

「そんなに子ども好きだったっけ?」と言われること、あります(笑)まぁそうですよね!笑 私を知ってる人は、自由人すぎるし人のお世話とかできないでしょ!とか、長崎、イタリア、商社、とか、そういう印象あると思います(笑)

 

ベビーシッターを始めたきっかけは、妹が大学の保育科に通っていて、地元の幼稚園でアルバイトをしてたことです。

 

就活をしながら何かバイトもしなきゃな~と思っていたのですが、1年間のイタリア留学、その後8か月のミラノ万博にて契約社員として日本館アテンダントを務めさせていただいた経験から、「お金稼ぎのためアルバイト」はもうする気がありませんでした。

 

どうせやるなら、面白い経験になること、人生に役立つこと、自分が成長できること、そして誰かのためになることをしたいと思っていて。

 

そう思って帰省していた時に妹が、家で毎日楽しそうに子どもたちの話をしているのを聞いて、そんなバイト最高じゃん~というテンションで探し、目に留まったのがシッターの募集でした。

 

私はいつ何時も、基本1対1、もしくは少人数のコミュニケーションが好きだし、人と深く向き合うことを大事にして生きてきたので、子どもと関わるにしてもそっちの方がいいと直感で思いました。

 

【ベビーシッターを通して気付いた、私の使命】

 

最初は本当にこどもが可愛くて可愛くて、ただただ楽しかったです。

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でも、続けて1か月もたたないうちに、色々な感情になりました。

 

初めて会ったのに、とびついてきてくれてずっとニコニコ笑顔でスキンシップをしてくれる子

保育園にお迎えに行くと、「ママが良かった~~~」って大泣きして家に向かってくれない子

 

「これママに作ったんだよ~」「これパパが買ってくれたんだ~」と沢山家族のお話をしてくれる子

何を聞いても話してくれないし、目も合わせてくれない子

 

人懐っこくてず~~~っとげらげら笑ってる子

感情の起伏が激しかったり、うまく気持ち表現できなかったり、とにかく不安定な子

 

子どもにとって、本当に母親、父親の存在、それからどのような家庭環境で育つのかは、とてつもなく大きいと改めて痛感しましたし、

 

同時に、過去の自分と子どもたちが重なり、色んなこと、感情を思い出しました。

 

私は、6歳の時に両親が離婚し、4歳と2歳の妹2人は母元の長崎に残り、長女の私だけ父について愛知県で暮らすことになりました。父元へいくことは自分で決断したのを覚えています。ここからの6年間がすごかったんですよ笑

 

ちょうど20年前の9月、父は私を引き取ったものの、最初の1か月くらいは長崎での仕事を片付けに戻ったり、転職先での仕事などでしばらく家におらず(しかも預けられていたおじいちゃんとおばあちゃんの家は、お風呂もトイレも外にあったり、鍵もついてなくてw今思うと明治から残ってたんじゃないかと思う(笑)そんなとこで放任されてたのに、6年間家が不便だと思ったことなかった私ってずれてたのかなw)、

 

私は不安で、寂しくて、ママに会いたくて、でも会いにいく方法も会話ができる方法もわからず、1か月くらい1人椅子にしがみついて泣いていた記憶しかありません。もしかしたら1週間くらいかもしれませんが (笑)

 

そんな状態から私の小学校生活は幕を開けました。6年間、私は母と妹に会えるのは、GWの3日間だけで、その数日は本当に幸せでしたが、楽しい時間を過ごした後の別れは何よりも辛くて。こんなに辛いなら会わないほうがいいんじゃないかってくらい、辛かったです。1年って遠いんですもん。

 

小6の時に父親が再婚したことをきっかけに、私は長崎に帰りたいという思いが強くなり、小6なりの賢さであの手この手でもがき始めました。でも、父に母との電話履歴を印字され、「次この番号があったらどうなるか分かってるだろうな」と言われたり(今考えると本当に私かわいそう(´;ω;`)!!)、泣きながら母に書いた手紙も取り上げられたり、母との一切の交信を絶たれてしまって(まじありえない(´;ω;`)!!)、悔しくて部屋にこもって声を殺して泣きわめいたり(←あれ日本語変?)、よく夜の道路で一人泣いてました。

 

私はそれを誰にも話せませんでした。共感してほしいとも思ってなかったし、20年前の田舎で父子家庭なんて目立つほど珍しかったので、誰にもわかってもらえないと思ってたと思います。

これはほんのほ~~~~んの一部で、今でも思い出すと涙が出るほど辛いことが実は沢山沢山ありました。

この6年間の話をしたら、今でも母と夜が明けるまで泣きながら話せちゃう(笑)

ただ、母とよく話すのが、お互い、死んだわけじゃなかったから、頑張れたね、と。

「生きてたらいつか会える」 ほんとにそんな感じでした。

 

 

本題に戻るとw ベビーシッターをして色んな子どもを見ているうちに、寂しそうな子どもたちとそんな自分の幼少期が重なって、私のシッティングに色がついていきました。

 

私は母になった経験はないけど、寂しい子どもだった経験はありました。

だから、子どもたちの気持ち、すっごく理解できると思ったんです。

 

ママを想って寂しくて泣いてる時間が、一瞬でも、私といることで笑顔になってほしい。

私といれる時間だけでも、寂しさ、恐れ、不安、とかの負の感情を忘れて、楽しい時間、安心して過ごせる時間、甘えられる時間になってほしい。子どもたちを笑顔でいられる時間にしてあげたい。

 

それに、私は苦しみ悩む母を見ていました。

 

私の母は特別に辛かったのだと思っていたのですが、どんなお母様も、それぞれ色々な悩みがありました。

 

子育ては本当に楽しいだけでやっていけるママはいないんだなって。子育てに疲れ切っていたり、それで余裕がなくなって子どもにイライラしてしまう。子どもは悪くないと分かっていても、当たってしまって自己嫌悪になっちゃう。

 

旦那との関係や自分の仕事、自分の人生と子どもの将来に不安を隠しきれなかったり、毎日に必死で子どもと自分の身体と心に目を向ける余裕がなかったり。

 

そんなお母様が沢山いるのを知りました。

 

家庭にいる親が不安定だと、子どもはより不安定になる。

 

そう思っていたので、私が子育てや家事を最大限サポートすることで、お母様が子どもと余裕をもって接することができるようになってほしい。一瞬でも、子どもと気持ちのいい笑顔でいれる時間を増やしてほしい。子育てって自分だけでやるものでは決してなくて、みんなで子どもを育てていいんだ、もっと頼れる人がいるんだ、って思ってもらいたい。

 

そう強く想ってシッターをするようになりました。

 

そんな風に思っていると、シッターは私にとってはもはやアルバイトなんていう単語では済まされないものになっていましたよね~。どの家庭の子どももお母様も、私にとっては「家族」のような大切な存在でした。

 

そう想うにつれて、子どもとすぐ打ち解けられたり、お母様からの満足度もかなり高く、大変有難いことに幅広いご家庭からリピートして頂いたり、時には芸能人のお宅でもシッターをするようになっていました。

 

最初は、派遣としてやっていましたが、私たちの時給(1,000円)とお母様が支払う金額(3,000円)にあまりにも差があることに気づき、もっと手軽にシッターを利用できるサービスつくりたいなとおもって色々調べ始めたところ、

 

☆KIDSLINE★

https://kidsline.me/service/vision

 

このサービスと経沢さんの「ベビーシッターの文化を日本に」という想いに強く共感しました。将来は私もこんなサービスを世の中に作りたいと強く思っていました。

 

【ベビーシッターへの疑問】

 

でも、好きだからこそ、想いがあるからこそ、色んな疑問が湧いてきちゃったんです。

 

それは、「ベビーシッターでは、本質的にお母様と子どもを支えることはできないし、根本的な社会課題の解決にはならない」

 

ということでした。

 

今日は私がシッティングに行けても、明日行けなかったら、お母様は明日のシッターをまた探さないといけない。シッターが代わる代わる来たら子どもが安定するか心配、条件に合う人がいないどうしよう、など、結局また悩みができてしまう。これは“対処療法”だなぁと感じていました。

 

それでも、学生時代は子どもたちの笑顔やお母様からの感謝で、その気づきに見て見ぬふりをしていたんだと、今は思います。

 

そんな経験を通して、

 

①こどもへの愛で溢れる場所をつくりたい

②母親、父親でありながらも、子育てで何かを諦めるのではなく、どんな人も堂々と夢を追って自分の人生を笑顔で生き抜くサポートがしたい

➂地域で子育てをするのが当たり前、な社会にしたい

 

それが夢となり、私の人生で成したいこと、成すべきことになっていきました。

 

【そんなとき出会ったデトックス事業】

 

とは言いつつも、色々あって、入社したのは総合商社でした←

えwて感じだと思うんですけど、これには深いようで浅い理由がありまして。(興味ある人は聞いてください笑)

えwて感じだと思うんですけどw これには深いようで浅い理由がありまして。(興味ある人は聞いてください笑)

 

毎日の仕事が何のためなのか、自分の価値ってなんなのか、働くことの意味、色んなことが分からくなって。

 

自分の将来への不安、商社で歩むキャリアへの疑問、時代の流れに逆流していることへの焦り、などなどを感じている日々でしたね。。。

 

“The大企業”の働き方、仕事の回し方、社風を体験してみて、私は高いお給料をもらっても、有名企業で「すごいね」と言われても、何も嬉しくありませんでした。

 

私は誰かのために頑張りたかったので営業を希望しましたが、結局全ては会社の利益や、上司からどう見られるか、そんなことばかりを考えて仕事が進んでいくのを見て、もっと人の人生に深く関われる仕事がしたいという思いは日に日に強くなり、

 

毎日のように教育関係の事業をやっている方に会ったり、ベンチャー、開始系企業で働く人に会ってみたり、教育系のイベントにいったりして。 それを通して、やっぱり私は教育に関わりたいんだな。と日に日に強く想うようになったんです。

 

そんな時、大学時代に一番仲が良くてお姉ちゃんのように慕っていた川上千晴さんが会社を辞めてて。あんなに仕事も会社も好きで、私もこんな風に働きたい~と思ってた人だったので、だったのに何があったんだろ!?ていう興味と、

 

私も3年以内にはフリーランスとして独立して働きたかったので、いいなぁというか、内心「うわぁ先越された!」って感じで(何様w)

 

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↑大学時代から何かと似ているといわれていたちっぱ♪おねーちゃんみたいなのだ 

 

そしてデトックス事業の話を聞きました。当初、健康には全く興味がなかったんですけど(笑)、その意識の低さのおかげでw私の身体には色々な不調が溜まりまくってました。

 

症状としても体にいろんなものが出ていましたが、

測ってもらった血管年齢が実年齢+23歳だったのには驚きました。

 

健康へのアンテナが低すぎた私は、最初はデトックスという概念、ハーブという言葉、食事を置き換えること、全てが新しすぎたので半信半疑でしかなくてwww

ですが、様々な事例や体験談を聞き、人の変化がすごかったのです。

 

「これで本当に身体変わるんだったらラッキーだよな~」、くらいの感覚で、最後はちはるさんが私を騙すわけないとを信じて(笑)

 

そしてどうせやるなら体質と生活習慣、そして毎日仕事や人生に悩む自分を変化させたいということと、健康や栄養の知識を身に着けるきっかけにしたいと思って、デトックスにチャレンジしました。

 

 

デトックスの変化】

もう、ほんと~~~~にすごかったんですよ。

いまだに、デトックスしてる時期が人生で一番体調良かったです。

 

視覚的な変化としてはこんな感じです☟

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 だいぶ変わってる(笑)でも、私は痩せることも、肌をきれいにすることにも、

まっったく興味がありませんでした。

(まあ↑の写真見ると意外とデブだしむくんでだし肌汚かったみたいですけどw)

 

私のデトックスの目的としては、

・10年以上のひどい鼻炎(1年中花粉症状態でした)、喘息とおさらばしたい

・本当に朝起きれなかったので寝覚めが良くなりたい、日中の眠さがなくなってほしい

・ピルを飲まなくても生理痛が来なくなったら夢みたい

・活き活きと生きられる本来の自分に戻りたい

 

つまり、「健康になりたい、本来の元気な自分になりたい」、ということでした。

だってせっかくの楽しみたい休日に、病院に並んで薬をもらって、

なくなったら症状が出るからまた病院に行って…っていう生活、

よく考えたら対処療法でしかない(笑)

 

デトックスの結果、全部、想像を超えて変わりました。

 

・薬を飲まなくても全く鼻水が全くでない!

(私にとって、人生でそんな日が来ると思わなかったので、「鼻水出なかったら人生変わる」って口癖だったので(笑)、これだけでもデトックスやってほんとによかったです)

・東京に住むようになってから発症した喘息も、吸入無しでも全くでない

(ちなみにデトックスしてから半年たっていますが今でも薬一切飲んでません。)

・寝ても寝ても眠くて疲れがとれなかった身体が、寝覚めパッチリ、二度寝が要らない。

・視力がかなりup。

・生理痛がなくなってピルを外せました。

 

身体も本当に変わったのですが、一番すごかったのは、心や意識の変化でした。

 

・イライラしなくなったり、物事、環境をポジティブに考えられるようになった。

・思考も発言もクリアになり、仕事の集中力やパフォーマンスもあがった

→褒められることが多くなった。

・好きな食事、食べたいもの、味覚が変わった。

(肉、脂っこいもの、甘いものが大好き→野菜、ヘルシーなものが常に食べたい)

・自分の体調や足りてない栄養、免疫がおちたら何をとればいいかが分かるようになり、生活習慣や食生活の意識が本当に変わった。→肌荒れない、太らない。

 

このすごさね、やらないと分からないと思います(笑)

 

本当にこの事業は最先端だと思いました。

 

この結果に一番驚いていたのは、彼氏と家族でした。

 

私もみんなも半信半疑の中のデトックスだったので(笑)、私の結果を見て家族みんなデトックスをしました。

  

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↑母の肥満度、視力、中性脂肪、変化✨30年来の便秘も、今は毎日でるように。ひざの痛みもなくなり、旅行が楽しめるようになりました^^

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アトピーの彼氏のアレルギーの数値もぐんと減少。お医者さんに「こんなに数値が下がる人滅多にいない」と言われたそうです…✨嬉

 

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 ↑妹の肌。2週間で、4年すってたたばこも手放しました。(´;ω;`)

 

家族や彼氏など、大切な人の変化を通して、デトックスへの確信が深まっていきました。 

 

そしてほかにもいろんな事例を知ったんです。

 

・生まれつきのアトピーが治って本当に人生変わった。

・初めて人前にマスクをせずに出れた。

・20年間うつの薬を飲み続けていた人が、薬を手放し社会復帰ができた。

・赤ちゃんができないと言われた人が、命を授かり、母になった。

 

涙を流して、体験談を話す人を沢山見ました。

 

これは本当に最先端だと思いました。

新しいものは怪しいし批判されやすい。

けど、そういうものがいつも世界の常識を変える、

 

スティーブジョブスやジェフベゾスもそうだったのは知っていたので、なんかこれって

ほんとにそういうレベルのものなんじゃないか、とワクワクしたんです。

 

そして、私にとって大きかったのが、子どもと触れ合う人たちの事例でした。

 

・子どもに対してイライラしなくなったお母様、保育士さん

・夜泣きがひどかった子どもが、朝までぐっすり寝てくれるようになった

・自分に自信が持てるようになり、子育てへの不安がなくなった

・心に余裕ができ、親子関係、夫婦関係が良くなった

 

こーゆー事例を何十と聞いて思ったんです。

 

世の中のお母さん、もしくは、お母さんになる女性、みんなやってほしい!って。

 

上記したように、子育てにおいて、ずっとポジティブな気持ちでい続けられるお母様は

ほとんどいないんだと、シッターでいろんな家庭を見て気づきました。

 

今までは、シッターを通して、子どもとお母様が一瞬でも笑顔でいる時間が増えたら。。。と思ってやってました。でも、明日私がいなかったら、明日はお母様また疲れちゃうんです。

 

でもでも、身体をケアすれば、イライラしなくなって、元気になれて、自信を持てる。

お母さんが元気なことって、子どもにとって一番必要だと思いませんか?

お母様の心の状態って子どもに伝わります。

 

シッターとしてではなく、すべての基盤である健康教育をすることで、

子どもとお母様の人生をサポートできる。

 

そんなシッターになれたら、最高だと思いました。

 

デトックスを知ってから見る世の中とシッターの現場。】